えむの呟き。

ボヤキが多いかもしれませんが。

弱いものに強い、姑息な女たち。

子供達が少し成長した頃、仕事に行きたいと思い始めた。

 

もちろん、収入を少しでも増やしたいのもあったし、ここに閉じこもっているとおかしくなりそうだと薄々思うようになったから。

 

 

 

ここと言うのは、正しくここ。

 

夫が育った地域であり、親族が近くにいる場所であり、熱々のスープを簡単に持ってきやがる距離に夫の実家がある《ここ》である。

 

 

 

姑にそれとなく「そろそろパートのお仕事を見つけようかなと思うのですが。」と話したら、やはり思っていた通りの返事が返ってきた。

 

  1. 子供の体調が悪い時は、まだまだたくさんある。
  2. あんた、体力ないじゃない。
  3. 夏休みはどうするの?。
  4. 保育園に預けて、人様にみてもらって、子供が不憫じゃないの。

 

これほどストレートには言わなかったけど、「あそこの家は、もう保育園に行って可哀想よ。育児放棄よ。旦那が薄給なのね。」と下世話に例える姑を説得してまで外に出る勇気がなかった。

 

実際に、子供の体調不良の時は姑に頼らざるを得ない。

 

夫は薄給だったが、舅と同じ会社に勤めていて、姑の頭の中ではバブル時代にじゃんじゃか儲けていた舅の給料の金額がインプットされているから、《時代が違う》というのが理解できていない。

 

 

 

夫には姑に対する悩みを言えなかった。

 

私から見ても、あまり親との会話はないんだろうなと思えたから、普段の姑の会話を話しても、信じてもらえないだろうし。

 

 

 

 

 

仕事をせずに生きてきて、後悔するのは人との関わりが希薄すぎること。

 

ママの集まりなどは積極的に出かけたが、所詮同年代の繋がりである。

 

老若男女の集まりに身を置けば、精神も鍛えられるし、姑が世間からずれているといち早く知ることもできたと思う。

 

 

 

姑の圧に負けて、家族という小さなコミュニティしか生きてこなかった私は、結局《こっちのけんと》さんと同じ病気になる。

 

実家にいた時、無条件に愛をくれる両親だったのなら、姑からなんとか逃げられたのかもな。

 

 

 

こんな私が、やりたいと思うボランティア活動がある。

 

母と会わなくなって、姑と会わなくなって、医師が驚く程に安定した生活を送れるようになったけど、病名を言うと参加させてもらえない気もする。

 

 

 

母・姑いわく、私の病気は《怠け病》らしいから。