不仲夫婦のかなめは、50歳義兄という現実。
昨日の夕方、舅が来た。
子供たちが帰ってくる時間だったので、玄関のカギを開けておいたのだが、《ピンポ~ン》が1回鳴り終わってからの即 玄関内。
えむちゃん、もうご飯は作ったみたいやね(においでわかったみたい)。
今日は寒いから鍋にしようと思って材料を買ってきたんだけど、お婆(姑)が「そんなもん、いらんわ。」って怒ってさ。
「冷蔵庫に入れる所もないからね!。」ってキーキー喚いて・・・。
大したものじゃないけど、使ってくれる?。
と、材料を持ってきた。
これっぽっちのことで、また喧嘩をしたらしい。
昔から、決して仲がいいと言える夫婦ではなかったが、それなりにお互いにやいやい言いながらも生活していた。
この二人の緩衝材的な役割をしてきたのが、私達家族であり、特に私は姑の愚痴をずっと聞かされてきた。
その関係も数年前に破綻したから、姑は制御不能になってしまった。
まあ言わせてもらえば、舅がそのことに気付かないのも不思議である。
舅はいつも言う。あっ、姑もよく言っていた。
一郎(50歳義兄:仮名)が居なかったら(同居してなかったら)、とっくに家を出てる。
義兄がいても自分の人生を歩めると思うけど、そういう考えが義兄をダメにしたんだと思う。
数年前に、飲酒運転で免許取り消し。
生活費は払わず、パチンコ・夜の街 三昧の生活。
借金が返せなくなって、おばあちゃんに泣きつく。
(仕事はしている)
頑なに挨拶をしない。
ああ、書き尽くせないどうしようもない男。
80歳弱の老夫婦の年金と産直市で得た収入に、50歳の健康な男が寄生している。
それが舅と姑の生きがいになってるのかもしれないけど、いつまでも続く環境ではない。
家庭内は冷え切っていて、怒号が飛び交っているのに、そこから抜け出そうとか環境を変えようとかしない。
それぞれが、嫌いなはずの人間に依存して暮らしている。
その依存の矛先が、私達夫婦や子供たち・長男夫婦に向けられないか戦々恐々としている。
今まで、人のことや不満は一切言ってこなかった舅が、最近私には言うようになった。
余程、腹にたまっていることがあるのだろう。
Xデーが近いような気がして、なんだかソワソワしている。